先日のニュースで、日経平均株価が7万円台になったという話を見た。
「へぇ、そうなんだ。」
感想はそれだけだった。
仕事では普通に社会人として振る舞っているので、世間のニュースや流行にも関心があるような顔をしている。
「最近の物価高は大変ですよね」
「株価すごいですね」
「〇〇が流行ってるらしいですよ」
そんな会話もする。
でも正直に言うと、昔からあまり世間のニュースに強い関心がない。
興味がないというより、自分の生活との距離が遠すぎるのだ。
景気がいいと言われている時代も、自分の収入が急に増えた記憶はない。
逆にコロナ禍のような大変な時期でも多少の影響はあったけれど、生活が立ち行かなくなるほどでもなかった。
だからニュースで語られる「日本全体」と、自分が暮らしている「半径数メートルの世界」が、あまり一致しない。
日経平均が上がろうが下がろうが、今日の晩ご飯は相変わらず自分で考えなければならない。
ニュースはいろいろ教えてくれるけれど、冷蔵庫の中身までは教えてくれない。
そう考えると、人生において意外と重要なのは冷蔵庫のほうかもしれない。
いや、たぶん重要だ。
最近はSNSを開くと、さらに世間との距離感が難しくなった。
誰かが話題にしているものが、まるで全員の関心事であるかのように流れてくる。
知らないと遅れている気がするし、参加しないと取り残された気もする。
けれど実際には、自分の周りでその話題をしている人は誰もいなかったりする。
昔、近所の商店街で流行っているものは、本当に近所で流行っていた。
今は世界中の誰かが盛り上がっていることが、自分の目の前に流れてくる。
便利になった反面、「関係ないことまで関係あるように見えてしまう世界」になった気がする。
もちろん、それが悪いわけではない。
面白い情報に出会えるし、自分の知らない世界も見られる。
ただ、油断すると頭の中まで他人の話題で埋まってしまう。
本当は自分が何を考え、何を好きで、何に時間を使いたいのか分からなくなる。
そういう時は散歩をする。
コーヒーを淹れる。
本屋をうろつく。
意味もなくスーパーを一周する。
スーパーは意外と面白い。
今の時代がどんな時代なのか、ニュースより先に値札が教えてくれる。
キャベツが高いとか、卵が安くなったとか。
景気指標よりも生活指標である。
エコノミストには怒られそうだけど、私にとってはキャベツ指数のほうが重要だ。
そして散歩の途中で見つけた花がきれいだったり、パン屋からいい匂いがしたりすると、「ああ、世界は意外と悪くないな」と思う。
たぶん、自分が求めているのは社会から切り離されることではない。
世間を無視したいわけでもない。
ただ、自分の居場所をちゃんと持っていたいだけなのだ。
世間が右へ行こうが左へ行こうが、
流行が来ようが去ろうが、
株価が上がろうが下がろうが、
自分は自分でコーヒーを飲んで、本を読んで、仕事をして、たまに考えすぎて暮らしていく。
そのくらいの距離感が心地いい。
世界を変えることはできないけれど、自分の机の上くらいなら片付けられる。
日本経済を動かすことはできないけれど、美味しいパンを買うことはできる。
大きな話に振り回されるより、小さな幸せを見つけるほうが私には向いているらしい。
日経平均7万円の時代らしいけれど、
今日のコーヒーもなかなか美味しかった。
それなら、とりあえず良い一日だったことにしようと思う。
今日もヒゲをととのえて、自分の半径3メートルを生きる。




































