英ケンブリッジ大学の研究だったか、どこかの研究だったか。
人間は1日に3万5000回もの決断をしているらしい。
朝起きるかもう5分寝るか。
コーヒーを飲むかお茶にするか。
この服を着るか、あっちの服にするか。
返信するか後回しにするか。
コンビニに寄るかまっすぐ帰るか。
そんな小さな選択も全部含めると、1日に3万5000回。
数字だけ聞くとちょっと信じがたい。
1秒に1回決めたとしても9時間以上になる。
人間の頭というのは、起きている間ずっと何かしら考え続けているらしい。
あーでもない。
こーでもない。
これかな。
あれかな。
やっぱり違うかな。
たぶん私の頭の中なんて、その平均値を軽く超えている気がする。
特技欄に「ムダに考えすぎること」と書いているくらいだから。
本屋に行ってもそうだ。
一冊選べばいいだけなのに、
「この本は今の自分に必要だろうか」
「積読になるだろうか」
「いや、積読にも意味はあるのでは」
「そもそも本は読むために買うものなのか」
などと考え始める。
気づけば30分経っている。
コーヒー屋でもそうだ。
ブレンドにするか。
深煎りにするか。
今日は暑いからアイスか。
いや、冷房が効いているからホットか。
そんなことを考えているうちに、後ろのお客さんが先に決めている。
世の中には決断が速い人がいる。
うらやましいと思うこともある。
でも最近は少し考え方が変わった。
どうせ考えることをやめられないなら、考えることと仲良くしたほうがいい。
人間は考える葦だと誰かが言った。
私はたぶん、考えすぎる葦だ。
風が吹くたびに、
「この風には意味があるのだろうか」
などと考えてしまうタイプである。
だけど、そのおかげで気づけることもある。
道端の花とか。
喫茶店の窓際の光とか。
本の中の一文とか。
誰かが何気なく言った言葉とか。
急いでいたら見落としてしまうようなものを拾えることがある。
だから最近は思う。
大事なのは考えないことではなくて、どちらの方向に考えるかなんじゃないかと。
同じ出来事でも、
「なんでこんなことになったんだろう」
と考えることもできるし、
「ここから何を面白がれるだろう」
と考えることもできる。
思考は勝手に流れる川みたいなものだけれど、流れる先を少しだけ変えることはできる。
せっかく1日に3万5000回も何かを選んでいるのなら。
どうせなら、自分が少し心地よくなる方を選びたい。
少し機嫌よくなれる方を選びたい。
少し面白がれる方を選びたい。
そう考えると、人生というのは大きな決断でできているのではなく、小さな選択の積み重ねなのかもしれない。
今日飲むコーヒーとか。
帰り道に遠回りするとか。
気になった本を手に取るとか。
ブログを一本書いてみるとか。
そんな些細な選択の連続で、気づけば景色が変わっていく。
だから今日も、相変わらず頭の中では何かを考えている。
あーでもない。
こーでもない。
たぶん明日も考えている。
でもそれでいい。
考えすぎることも、案外悪くない。
せっかく与えられた3万5000回の選択権なのだから。
少しくらい遠回りしながら、自分の好きな方へ使っていこうと思う。
そして今日もヒゲをととのえるという決断をする。




































