家の近くにドイツパン屋さんがある。
たまに無性に食べたくなって買いに行く。
ドイツパンというのは不思議なパンだ。
ふわふわでもなければ甘くもない。
最近のパン屋さんに並ぶような、見た目が華やかで写真映えする感じもない。
どちらかというと無骨。
「パンですけど何か?」
みたいな顔をしている。
固いし重いし、噛みごたえもある。
だけど、なぜか時々ものすごく食べたくなる。
コーヒーとの相性もいい。
朝の静かな時間にコーヒーを淹れて、ドイツパンをひとかじりすると、なんだか気持ちが落ち着く。
派手ではないけれど、ちゃんと満足する。
そういう食べ物が年々好きになってきた気がする。
そんなパンを買って帰ってきた日。
さて、何を合わせようかと考えた。
チーズでもいい。
ハムでもいい。
でも今日は少し温かいものが欲しい。
冷蔵庫を開ける。
何もない。
いや、正確には何もないわけではない。
料理をする人間にとって「何もない」とは、食材がないことではなく、献立が思いつかない状態をいう。
冷凍庫を開ける。
シーフードミックス発見。
ブロッコリー発見。
コーン発見。
しめじもいる。
なんだ、意外とあるじゃないか。
ということでシチューを作ることにした。
レシピは特にない。
小麦粉とバターを入れて、
牛乳を入れて、
コンソメを入れて、
様子を見る。
味見をする。
もう少し入れる。
また味見をする。
なんとなく完成。
だいたい料理というのは、この「なんとなく」の積み重ねでできている気がする。
もちろん本格的な料理人は違うのだろうけれど、自分のために作る料理ならこれで十分だ。
誰かに評価されるわけでもない。
SNSに投稿して「いいね」を集めるためでもない。
ただ自分が美味しく食べるためだけの料理。
だから好きな味にする。
少し濃くてもいい。
少し薄くてもいい。
失敗したら次は変えればいい。
自由である。
考えてみると、大人になるほどこういう時間は貴重なのかもしれない。
仕事には正解を求められる。
世の中には効率を求められる。
SNSには評価を求められる。
何をするにも理由や成果を求められる。
だけど料理だけは違う。
少なくとも自分にとっては。
適当に作って、
適当に味見して、
「まあ、うまいからいいか」
で終わる。
この「まあ、うまいからいいか」が案外大事なのではないかと思う。
人生の悩みの半分くらいは、
「もっとちゃんとしなきゃ」
から始まっている気がするからだ。
完成したシチューを器によそって、ドイツパンを添える。
スプーンでひと口。
パンをひとかじり。
またシチュー。
なかなか良い。
というか、かなり良い。
適当に作ったわりには美味しい。
いや、適当に作ったから美味しいのかもしれない。
期待値が低いぶん、幸福度が高い。
人生も案外そんなものなのかもしれない。
完璧を目指して肩に力が入るより、
冷凍庫にあるものでシチューを作るくらいの気楽さのほうが、案外うまくいく。
少なくとも今日の夕飯はそうだった。
ドイツパンは相変わらず無骨だった。
シチューは相変わらず適当だった。
そして私は相変わらず考えすぎていた。
でも、そんな一日も悪くない。
パンをかじり、シチューを食べ、そして今日もヒゲをととのえる。

























