録画しているテレビ番組というのは、なかなか不思議な存在だ。
ドラマの番宣を見て「おっ、これは面白そうだな」と思い、とりあえず録画予約をする。
今の時代は便利である。
昔みたいに放送時間にテレビの前で待機する必要もない。とりあえず録画しておけばいい。
問題は、その「とりあえず」が積もることである。
気づけばハードディスクレコーダーの中には見ていない番組がずらりと並んでいる。
第1話だけ見たドラマ。
第3話で止まったドラマ。
そもそも再生ボタンすら押されていないドラマ。
まるで本棚の積読みたいなものである。
積読は紙だからまだいい。
本棚に並んでいるだけなら、そこにある風景として受け入れられる。
ところが録画番組は違う。
画面を開くたびに、
「おい、まだ見てないぞ」
と無言で訴えかけてくる。
その圧力に負けて、先日とうとう1年前のドラマを見始めた。
面白そうと思って録画したはずなのに、いざ再生してみると自分の目的が少しおかしい。
続きが気になるから見ているのではない。
感動したいから見ているのでもない。
ただただリストを消したいのである。
ドラマを楽しむというより、タスク処理である。
「よし、第2話消化。」
「あと9話か。」
そんなことを考えながら見ている。
出演している俳優さんに申し訳ない。
たぶん皆さんは全力で演技している。
脚本家さんも何度も推敲しただろう。
監督さんも魂を込めて撮影しただろう。
それなのに私は、
「あと何話で消せるかな」
と思いながら見ている。
なんだか人生そのものみたいだなと思った。
面白そうだから始めたはずなのに、いつの間にか消化することが目的になっている。
買った本。
始めた趣味。
入ったコミュニティ。
資格の勉強。
気づくと「楽しむ」より「終わらせる」が目的になっていることがある。
本当は楽しむために始めたはずなのに。
そう考えると、ハードディスクの中にたまったドラマたちは少しだけ人生の縮図に見えてくる。
そして結局、そのドラマは意外と面白かった。
1年前のドラマだから誰とも感想を共有できない。
ネットを見てもとっくに話題は終わっている。
流行には完全に乗り遅れている。
でも、それはそれで悪くない。
みんなが騒いでいる時に見る楽しさもあるけれど、自分のタイミングでゆっくり楽しむ面白さもある。
考えてみれば、コーヒーだって冷めかけた頃にちょうど美味しかったりする。
パンだって焼きたてだけが正義ではない。
一日置いたパンにスープを合わせる幸せもある。
ドラマも同じなのかもしれない。
旬を過ぎたから価値がなくなるわけではない。
むしろ今の自分だから面白く感じることもある。
そんなわけで、録画リストを一つ消した。
まだたくさん残っている。
たぶん全部は見きれない。
でも、それでいい気もしている。
人生に積み残しがあるように、レコーダーの中にも少しくらい積み残しがあった方が、人間らしい。
それに、いつか未来の自分が暇な夜に見つけて、
「ああ、こんなの録画してたな」
と笑えるかもしれない。
そう思うと、消せない録画も少しだけ愛おしく見えてくるのである。
今日もヒゲをととのえる。
そして、明日の楽しみを、ひとつ積み上げる。




































